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ぱてぃお大門の歴史

ぱてぃお大門の歴史

大門町の歴史
大門町は、今から約1350年前に本田善光によって開かれた善光寺(国宝)の門前町として歴史を刻んできました。
いつの時代にも全国から訪れる老若男女の参拝客によって大いに賑わっていました。
明治時代になって、国鉄長野駅が開業したり、近くに長野県庁や長野市役所ができたりした頃がこの町の繁栄のピークでした。

その後、都市機能が郊外に拡散するにつれて大門町は静かになりました。
1998年(平成10年)に長野冬季オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されると、長野市は世界中から注目を浴び、善光寺周辺の町は長野の顔として再認識されるようになりました。
写真:改装中の中央通り、左側西後町、右側問御所町(明治時代)


ぱてぃお大門の歴史

大門町南のまちづくり
善光寺の直前に位置する大門町上に対して、国道406号以南を大門町南と呼んでいます。
経済成長期に建てられた中層ビルも散見されますが、土蔵づくりや大正時代の洋風建築(中澤時計本店は登録文化財)も残っています。
オリンピック開催時に、表参道の電線が全面地中化され、歩道を覆っていたアーケードが撤去され、沿道の建物が剥き出しになりました。
これを機に、住民自身による景観整備を軸にしたまちづくりが動き始めました。
写真提供:長野市まちづくり推進課


ぱてぃお大門の歴史

「ぱてぃお大門』構想
平成13年6月、動機は、空店舗の一つが売却されるという情報でした。
ビルを建てられたら取り返しがつかない。悩んだ挙句、住民有志の組織である(有)長野大門会館がこの土地を取得しました。
正面の屋根のスカイラインを途切れさせたくないと考えたのは、景観について学んだ成果でした。
この土地の奥には土蔵があり、隣接地には使用されていない数棟の土蔵や三階建の楼閣がありました。
取得した土地を中庭(ぱてぃお)化して隣接地まで回遊できるようにすれば、これまで誰も見たことのない空間が再現すると考えた時に、「ぱてぃお大門」の構想が形づくられました。


ぱてぃお大門の歴史

事業計画がTMO構想に
空家屋の活用による商店街の活性化、善光寺観光の拡域化を支える新しい魅力拠点の形成を図ることを目的に事業計画が、TMO構想の認定を受け、中心市街地商店街等リノベーション補助金を活用して、空家屋としての土蔵郡等の改修計画が始まりました。
平成15年9月、事業主体をTMO(まちづくり長野)に移管させ、建設事業がスタートしました。
(参考資料 (有)長野大門会館オープンガイド)